子供たちに私の父親 田中四郎のお墓を案内するため日暮里駅で待ち合わせた 子供たちにとって初めて行く じいじのお墓参り

歩いてすぐ谷中霊園 天王寺 ここでお墓参りのお花 お線香 と桶を借り親父のお墓参り 母親と離婚したため 田中家本家の好意で本家のお墓に埋葬してもらってる

田中家お墓

谷中霊園 参道 桜の季節の人出はすごいですよ

参道に 明治時代 オッペペケー音頭で風靡した川上音次郎の碑

髙橋 お伝の墓 さくら大通りを進むと、霊園出口左手に公衆トイレがありますが、阿伝の墓はそのトイレの手前の通り沿いにあります。
墓碑の高さは約2メートル、正面の幅は約1メートルの自然石で、中央に書かれた「高橋お伝の墓」の書は仮名垣魯文によるものです。向かって右には辞世「しばらくも望みなき世に あらむより渡しいそげ三途の河守」(仮名垣魯文の書)が、向かって左には「建主 小川市太郎」とあります。背面は、「明治14年1月3回忌和同開珎社 世話人仮名垣魯文」とあり、名前が列挙されています

徳川慶喜のお墓 葬儀は仏式ではなく神式で行われた。5,600㎡余の墓域の中央からやや西南寄りに葺石円墳状の墳墓がある 徳川家のお墓は日光東照宮 寛永寺 増上寺と谷中霊園 4ヶ所

田安徳川家のお墓

さくら通りを抜け三崎坂を下り団子坂に向かう途中屋根に三毛猫 近くで見たら彫り物

谷中名物 指人形 NHK 小吉の女房 冒頭に出てくる

谷中銀座 坂の上から 平日 コロナ禍 人出が少ない

谷中 経王寺 慶応4年(1868)の上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたため、新政府の攻撃を受けました。天保7年(1836)建立の山門には銃撃を受けた弾痕が今も残り、当時の激しさを今に伝えています