6/20 今日は梅雨の合間 雨の予想無し 気温も高い 家でじっとが我慢できなくて 世田谷方面の著名人のお墓を探しに自転車で出発

オリンピック会場の神宮外苑はオリンピック会場準備で通行止があるので 通行できる場所を抜け新宿先で甲州街道に ここから目的地 北烏山 寺町にあるお寺を目指す


北烏山 寺町にある万福寺 江戸っ子で初めて横綱になった40代横綱 東富士のお墓がある 昭和24年横綱になり 東富士 千代の山 鏡里 吉葉山 私は小学校4年頃 よく相撲をみんなで取っていた 其々ひいきの力士の名前を名乗って私は千代の山 この後が栃錦 若乃花 朝潮と続く

参拝後甲州街道に戻り 娘の嫁ぎ先(不在)を回り成城学園から松陰神社を目指す 松陰神社本殿 文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあった所 明治15年11月21日松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。今日の社殿は昭和二年から三年にかけて造営されたものです


吉田松陰先生の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮、其の他烈士の墓碑があります。 文久三年(1863)正月。高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人等は、松陰先生の亡骸を千住小塚原回向院よりこの世田谷若林大夫山の楓(紅葉)の木の下に改葬し、先生の御霊の安住の所としました。同時に頼三樹三郎、小林民部も同じく回向院より改葬。その数日後、来原良蔵の墓を芝青松寺から改葬。同年十一月、福原乙之進を埋葬。 禁門の変の後、長州征伐の際に幕府によって松陰先生以下の墓は破壊されましたが、木戸孝允等の手により明治元年(1868)に松陰先生以下の墓を修復し、更に綿貫治良助を埋葬、中谷正亮を芝清岸院より改葬、長州藩邸没収事件関係者の慰霊碑を建立しました。 明治2年整武隊長官が鳥居より墓前に至る道に石を敷いて参拝に便ならしめ、かくして墓域は完成し、忠魂の鎮座することとなりました。鳥居は桂太郎 奉納


お墓に入る前には徳川家奉納の左右一対の石灯篭と手前に水盤がある

11代12代13代15代総理大臣 桂太郎墓所 遺言によりここに建立された 場所は要因神社に隣接
