2023年10月30日
2023年10月16日 - 晴れ

鎌倉 腰越

昔は5街道を歩いて完歩 最近は無理が出来ないので近郊の漁港食堂に 第3回は鎌倉 腰越漁港食堂 ここは当日獲れた魚をフライにして出すお店 ご飯はないので 当日築地場外でおむすびを買っていく JR藤沢駅集合 江ノ電で腰越に

腰越漁港

サバ イナダ ヘタイのフライ 別にサバコロッケ 注文

食事後散策 七里ガ浜 サファーを散見

小動神社のテラスから見た腰越漁港と江の島

こ満福寺は、讒言を受けた源義経が兄の頼朝との和解のため、鎌倉に入るべく、一時宿所とし、兄への手紙を書いた寺である。
満福寺が相模国腰越にあったため、その手紙は「腰越状」と呼ばれる。

満福寺には、「腰越状」の下書きをしたためたといわれる弁慶ゆかりの〝もの〟がたくさん残されています。 弁慶の腰掛石、弁慶の手玉石というものもあり、また「腰越状」を書く時に墨を摺る水を汲んだ硯の池、弁慶手沢の椀、錫杖等々……。
義経がここを宿としたというのは、腰越が源氏と関わり深い地であったことを示しています。

滝口寺この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。
その後延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。
なお本格的な寺としての格式を整えたのは津村の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進して以来の事とされている。 江戸時代までは選任住職を置かず子院である片瀬腰越八ヶ寺(通称片瀬八ヶ寺)が輪番で維持していた。片瀬八ヶ寺の山号は全て龍口山。文化財指定はありません。

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